Menu

Product

大切な人は好き?僕は嫌い。

ice claim

「いいよなー、ゆきは悩みが無さそうで」
 ただ空が美しいことに感動していたら心外な評価をいただいた。透き通るような冬の空。空気は冴え渡り、ただ僕の身体が浄化されてゆく。悩む時間さえ奪われるような、素晴らしい空だった。
「だって、空が綺麗じゃないか。この東京で、これだけ晴れ渡る青空。今日一日はきっといい¬日になりそう」
「どんだけ脳天気なんだよ」
 バシッと突っ込みを飛ばすのは高校に上がって近くに越してきた千秋。
「こんな日は何かいいことが起こるはずだよ」とニッコリ返すと、「ふふふ、今日数学の抜き打ちテストがあるらしいですね……」と不敵に、でも穏やかな柔らかい口調で幼馴染の春香が返した。
「うわっ、マジかよ。いい日じゃ無いじゃん」
「いやいや、この朝の登校時間に知ることが出来たのは幸せなことですって」
「数学一限目じゃねぇか!」
「大丈夫、まだ時間は沢山あります!三十分もあれば公式覚えられます!」
 壊れないはずの日常。春香と千秋と共に登校するようになって、もう半年以上の月日が流れた。
「ん?ゆきくん顔が暗いですよ。何か悩みとかあるのですか?」
「……いや、何もないけど。何で?」
「小学校からずっと一緒だったわたしにゆきくんのことは全てお見通しなのです!」
「おお、それはすごいね。例えば?」
「ふっふっふ、ゆきくん小四の時の夏目先生好きだったですよね」
 ぶっ、と思わず吹き出してしまう。一体何年前の話だよ。でもそういえばいつも優しくてニコニコしていて、一緒に居るだけで温かい気持ちになれるような先生がいらしたような気がする。
 僕が転んで怪我をした時に、優しく手当をしていただいた記憶が仄かに蘇った。
「いや、覚えてないよ」
「えー、見てればわかったのですよ。まぁ実際あまり夏目先生とお話してなかったですが。何かゆきくんって、何か人と距離を置いている気がします」
 でもわたしの傍に今でも居てくれるのはすごく嬉しい、と柔らかい笑顔で零す春香。それって大切だって思われていないことなんじゃねえ?ええっ、そんなことないですよ!ずっと十年近く一緒ですから!何を仰る、人間関係は時間より濃度が大切なんだぜ。
 そうしてまた二人で楽しく話し始める。僕はまたただそれを眺めているだけ。最近そんなことが増えた。
「二人共仲良くなったよね。付き合ったりとかしたら?」
 にっこりとした笑顔で表情を隠しながら、墓穴を掘ってみる。ええっ、そんなことないですよ。ゆきくん変なこと言わないでください!もう変なこと言うなよ、確かに春香は可愛いけどさ。そんな返事を、期待しながら。
 数秒の沈黙。凍えた空気がさらに凍てつく。厳冬を溶かしたのは、春香の明るい声音だった。
「実はわたしたち、先週付き合うことになりましたっ」
 大切な人は好き?僕は嫌い。
 だって自分の弱い所を受け入れて欲しいと甘えてしまうから。
「そうか、おめでとう!」
 例えば生きていることが辛くて仕方がない自分。大切なものを失った時に落ち込む自分。泣き出したくなる自分。人の幸せを妬む自分。そんな自分を閉じ込めて、数多ある日常の些細な出来事に感謝していれば、毎日幸せに暮らせる。でも逆に大切だなって思う人が出来ると「わかって欲しい」と甘え始める。
 そんな醜い自分を大切な人に知られるのが怖くて、距離を取り始めるといつの間にか離れていってしまうのだけれど。
「えへへ、ありがとう!」
 春香と千秋が隣同士で並ぶのを見ながら、僕は一つ白い息を零す。ふと目が合う春香が、僕の溜息を溶かす。
 ふと吹き抜ける風が僕の身体を通り抜けた。身体の芯が凍り付いている。寒い。何も考えたくない。でもたった一つだけ春香の笑顔が温かいのが救いで、それはどうしようもないほど救いのないことのように思えた。
 見捨てられるのが怖い。見限られるのが怖い。必要とされなくなるのが怖い。飽きられるのが怖い。諦められるのが怖い。居場所が無くなるのが怖い。幻滅されるのが怖い。嫌われるのが、怖い。
 ならいっそ、誰にも心を開かなければ良いはずなのに。
「というかやっぱりゆきくん何か悩んでいるでしょう。何時でもお話聞きますし、わたしを頼って欲しいです。だって、ゆきくんはわたしの大切な幼馴染なのですから」
 それでも、僕の心は昔から、残酷な春の温もりに溶かされていたのだった。


written by Aria

inserted by FC2 system